平成18年度盛岡山車

盛岡市八幡町 い組 風流 碁盤忠信

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演題解説

時は、鎌倉の初め。源義経を奥州へ落とす際主君の身代わりとなった佐藤忠信の奮戦振りを

歌舞伎狂言に取り入れ、碁盤片手に北条方の討手を蹴散らす忠信。

市川流の荒事に仕立て、元禄時代に上演されたとあり、明治44年には、七世松本幸四郎の

襲名披露に演じられたと伝わるものである。

見返し  吉野山 静御前

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演題解説

奥州落ちの義経を慕い、吉野山まで供をした静御前だったが、義経を無事に逃がすため、

自ら鎌倉方の追っ手に捕まる。義経の供をする、静御前の姿を飾る。

盛岡市鉈屋町 め組  義経弓流し

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演題解説

屋島の合戦の折、逃げる平家の船を追って、海中に馬を乗り入れた源義経は、

誤って弓を海に落としてしまう。拾おうとする義経に向かって、敵は長刀や熊手で

襲い掛かってくる。味方の家来は、諦めるように言うが、義経は諦めず、弓を拾い上げる。

理由を尋ねると、叔父鎮西八郎為朝のような強弓ならば敵にくれてもよいが、源氏の総大将が

こんな弱弓を使っていては、源氏一門の恥になると、命をかけて拾ったのだと語ったと言われている。

見返し  牛若丸

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 演題解説

源氏の大将、源義朝の九男として密かに鞍馬山で育てられた牛若丸は、やがて京にて妙な噂を

耳にする。それは、毎夜毎夜、五条の橋の上で武将から刀を盗る大男が出るというものだった。

ある晩、牛若丸は五条の橋の上でこの大男に出会い、それはやがて生涯をかけた仲間になる。

この見返しは、五条大橋の上で武蔵坊弁慶と出会った牛若丸を表現している。

盛岡市太田 お組  風流  熊谷陣屋

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 演題解説

時は、平安末期の一の谷の戦い。

源義経は、平敦盛が後白河法皇の落胤であることを知り、密かに命を救おうと考える。

そして、熊谷二郎直実の子、小次郎が同じ年頃なのに目をつけ、わがままな要求を書いた

制札を熊谷陣屋の桜の木下に立てた。それを見た熊谷二郎直実は、武士の非情の世界を

嘆く。山車の場面は、史実とは違うものの歌舞伎の一谷嫩軍記のクライマックスである

熊谷陣屋のシーン。

見返し  大黒様

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 演題解説

今でこそ五穀豊穣の神、福の神として知られる大黒様だが、

古来、仏教を生み出したインドでは、暗黒の世界で死をつかさどる神「マハー・カラー」と言われていた。

日本に伝わるとき、暗黒の大神ということで「大黒」と言われたのであるが、その後、聖徳太子によって

仏教が国教となり、さらに神仏習合によって、「大黒」と「大国」が重なっていき、

それまでの憤怒の形相から、ふくよかな優しい表情へと変化していったといわれている。

盛岡市中の橋通 の組  風流 狐忠信

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 演題解説

歌舞伎「義経千本桜」より。

親狐の皮で作った鼓を打つ静御前を慕う佐藤忠信。

実は、子狐が化けた姿である。

静御前の切ない心情を狐忠信が訴える場面である。

見返し  わんこ娘

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演題解説

わんこそばと言えば盛岡の名物として名高い。

そばを投げ入れる南部姉っこ。

「はいどんどん、はいじゃんじゃん」と威勢のいい掛け声が聞こえそうな、

そんな場面を飾っている。

盛岡市油町  二番組  風流  早川鮎之助

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演題解説

戦国時代、尼子氏は、毛利元就によって月山富田城を終われ、家臣達は

別れ別れになってしまった。尼子十勇士の一人であった山中鹿之助は、

尼子氏再興のため諸国を巡行中、ある山中の急流で、戸板を立てて川を堰き止め、

鮎を取っていた怪力無双の若者に出会う。この若者に、早川鮎之助を名乗らせ、

尼子の勇士に加えたのである。後、囚われの身の主君を単身、賢固な番所に忍び込んで

救うという大きな殊勲を残した勇士である。

二番組は、裸人形を作るのがうまく、

この早川鮎之助が作れるのは現在おそらく、この組だけだろうとされる。

見返し  吉原雀

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演題解説

吉原遊郭の周辺で、鳥売りが廓の生活模様などを語り踊ったと言う場面。

なお、この山車の鳥売りの女性の籠の中にはちゃんと雀の人形が入っていて、

細部までしっかりと作りこんである。

 盛岡市神子田  盛山會さ組 風流 歌舞伎十八番の内 暫(志ばらく)

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演題解説

鶴岡八幡宮にて、悪人・清原武衡に言いがかりをつけられた加茂次郎義綱らが

襲われそうになったとき、歌舞伎界のヒーロー、鎌倉権五郎景政が「しばらく、しばらく」

の声とともに花道より登場する、成田屋(市川家)十八番のお家芸でも最も有名な演題の一つである。

なお、この山車ではいわゆる「元禄見得」と呼ばれる、「暫」の名場面を飾っている。

 見返し  襲名披露  女暫

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 演題解説

すべてを任せるという意味を持つ天・地・人の巻物を持って、女暫が艶やかに舞う。

また、この襲名披露という意味には、盛山會さ組第七代頭取と副頭取の就任を祝っての

記念の意も込められている。

盛岡市厨川  や組 風流 国姓爺合戦 和藤内の紅流し

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演題解説

国姓爺合戦は、江戸時代の作家近松門左衛門の浄瑠璃作品。

和藤内とは、江戸初期の実在の人物で「国姓爺鄭成功(ていせいこう)」であるといわれている。

明朝の臣・鄭芝龍と日本人の妻の間に生まれた和藤内は、明朝再興のため、

中国に渡る。そこで、腹違いの姉・錦祥女が敵である韃靼に組する五常軍甘輝

の妻であるという事実を知り、甘輝を味方につけようとするが、甘輝は運悪く不在。

そこで錦祥女は甘輝が頼みを聞き入れたら白粉を、聞き入れられなければ紅を流す

と和藤内に告げる。やがて、甘輝が帰ってくると、韃靼の王から和藤内追討の命令が

あったということ、また妻の縁で味方したといったら恥辱だという考えで、承知しなかった。

山車の場面は、和藤内が白粉の流れを待つ場面であるが、結局は紅が流れてきたため、

紅流しの場面といわれている。ちなみに、和藤内とは、近松門左衛門が考え出した「和でも唐でもない」

との洒落であるといわれている。

 

見返し 錦祥女

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 演題解説

甘輝の承諾が得られず、紅を流す錦祥女の姿。

この山車では、紅粉を流しているが、実際の話では、甘輝の承諾が得られず、

錦祥女は自害して、川のせせらぎを伝って、その血が和藤内の元へ流れていったという。

錦祥女の姿が、実に見事な仕上がりだと思う。

盛岡観光コンベンション協会  風流 歌舞伎十八番の内 助六

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演題解説

花川戸助六とは、曽我五郎が吉原に通う仮の姿。というのも、源氏の宝刀「友切丸」を探すべく、

様々な男の集まる吉原で、わざと喧嘩を吹っかけ、刀を抜かせようという目的があるのだ。

そこに、助六を情夫にする花魁・揚巻が登場。揚巻に言い寄る「髭の意休」が友切丸を持っていることを知り、

助六は意休に刀を抜かせようとするがなかなかうまくいかない。

この山車では、見得を切る助六と刀に手をかける意休の姿が飾られている。

見返し  揚巻

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演題解説     

吉原一の花魁、揚巻は、花川戸助六を情夫としている。

この山車の衣装は、揚巻が最初に着る正月をモチーフにした打掛で、

門松に金の糸を使った、注連飾り、海老、裏白、四手などの正月の飾り物

があしらわれ、さらに、羽子板、追い羽根、手鞠なども縫い取られている。  

                                        

 

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