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「草摺引」は、歌舞伎演目で人気の曾我物の一つ。

 

工藤祐経を父の敵とねらう曾我五郎時致は、正月の宴席で

兄・十郎祐成が嬲られていると聞き、兄を救うために

家に代々伝わる「逆沢潟(さかおもだか)の鎧」を、

着る間もなく、脇に抱えて駆け出そうとする。

 

そんな気の短い五郎時致を、後見役を務める舞鶴が、

鎧の草摺を引き合い制止しようとするが・・・という物語。

草摺を掴んで引き合っている五郎時致と舞鶴は、

力が入り双方襦袢が緩み、片肌が露わになる。

 

その片肌脱いだ赤い襦袢には、五郎時致には

鎌の絵と○と「ぬ」で「かまわぬ」=市川團十郎家の模様と、

舞鶴には、鎌の絵と「井」の字と=「ます」で、

「かまいます」=市川男女蔵家の模様という、

市川家由縁の洒落の効いた演出がなされるのが常である。

 

舞台のキャラクター「舞鶴」は、しばしば舞鶴の兄である

小林朝日奈(朝比奈三郎義秀)にも代わり、盛岡の山車では、

草摺引と言えば長らく五郎時致と小林朝比奈の組み合わせが

一般的であったため、本年の舞鶴を組み合わせる飾り方は

非常に新しい形であった。

 

本年の盛岡観光コンベンション協会は、

昭和53年(1978年)風流「連獅子」での初奉納以来、

連続40年参加の記念年ということで、「吉例」として名高い

曾我物の中でも特に華やかな「正札附根元草摺引」から、

曾我五郎時致と舞鶴の草摺引の見得姿を飾る。

 

 

 

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川に流れてきた大きな桃から生まれた桃太郎が

犬猿雉鬼退治のために鬼が島に行き、

退治した鬼の褒美を育ててくれたお爺さん・お婆さんに

持ち帰りめでたしめでたし、という昔話で有名な桃太郎。

 


通説では第7代孝霊天皇の皇子である吉備津彦命

(きびつひこのみこと)がそのモデルで、犬・猿・雉子に

該当する家臣団とともに、吉備国を平定するにあたって、

温羅(うら/おんら)という鬼を退治した、という伝説が

下地として作られたおとぎ話と言われている。

 

桃太郎伝説は、ほかにも日本各地に様々な伝承が有り、

若干それぞれ異なった伝承がされているものの、

一般的な「桃太郎」は最大公約数的な形で明治時代に

児童教育のためにまとめられた寓話である。

 

「桃太郎」は、盛岡観光コンベンション協会が

奉納2年目の昭和54年(1979年)、国際児童年ということも

あって見返しに飾った演題で、観光コンベンション協会の

山車としては、実に38年ぶりに見返しに飾られる演題である。

 

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