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八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)
八幡太郎義家(源 義家)(1039〜1106)は平安時代の武将。
源頼義の長男として生まれ、岩清水八幡宮で元服したことから
八幡太郎を称した。
 
父頼義が陸奥守、鎮守府将軍として出陣した前九年の役に従軍、
清原武則の援軍を得て、安倍貞任・宗任兄弟を倒す。
その後、清原氏は武則の孫の代で、
清原武衡、清原家衡、藤原清衡と一族の長老・吉彦秀武が
跡目を巡って内乱を起こし、ここに「後三年の役」の
火ぶたが切って落とされる。

源義家は、陸奥守という官職にあったが故か、
これに私的に介入し(鎮圧の勅令なしに)清衡の勢力に加担。

長老の吉彦秀武もこれに加勢し、
清原氏は滅亡、のちの奥州藤原氏の大栄華時代のきっかけを作った。

また八幡太郎の名の通り、八幡神の信仰が厚く、
盛岡への八幡宮の勧進など、
全国各地の八幡宮の開祖としても知られる。

本年の演題では、後三年の役の折、
金沢柵(現在の秋田県横手市付近)に出陣した義家が、
雁の群れが乱れるのを見て、
伏兵が潜んでいることを察知した伝説を飾る。

城西組としては、昭和58年(1983年)以来31年ぶりの演題で、
本年、城西組の組頭が交代したことを受け、
初心に戻る心意気で、城西組の参加初年度の演題である
この山車を出した。

 

 

 

 

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鯉の滝登りは、中国の故事、そして日本でもよく使われる

「登竜門」の語源である。

後漢の時代、宮廷の実力者だった李膺(りよう)は
横暴を尽くす宦官(宮廷の上級官僚)を粛清するほど
公明正大な人物で、彼に登用されれば、出世は確実とまで言われた。

これを「龍門と呼ばれる急流を登る鯉は龍になる」
という伝説になぞらえて、「龍門を登った」と言われるようになった。

本年の見返しでは、龍門を登る2匹の夫婦鯉に、
家内安全、家庭円満、立身出世の願いを込め、

近年あまり飾られなくなった「動物」の演題を飾る。
 

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