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なんぶしげなお―。(1606〜1664)

南部家第28代当主にして、盛岡藩第2代藩主。

 

寛永13年(1636年)、参勤交代の役目を負った際、

10日遅れで上京したため、時の将軍・徳川家光公より

寛永15年12月までの2年、逼塞の責罰を命ぜられる。

 

(参勤交代が義務付けられた後の最初の参勤交代だったため、

この遅刻を、家光より大変重くみられたといわれる)

 

寛永15年12月、逼塞を解除されたが、

さらに5年、遠慮の責罰を命じられてしまう。

 

寛永18年(1641年)1月、江戸の大火の際、

重直公は謹慎中にも関わらず、臣下を引き連れ火事場に赴き消火に努め、

その結果、将軍家光から激賞され、責罰を解かれた。

 

以降、消防の研究に大変熱を入れ、

南部火消が成立していく礎を築いたと伝わる。

 

また、南部盛岡藩第2代藩主として、先代の信直公の跡を継ぎ、

盛岡城下の整備にも力を入れ、今日の盛岡市の発展の礎を築いたのである。

 

本年の二番組は、第3分団 肴町一番組と共に

「御雇鳶」として藩お抱えの火消しとして成立した歴史を背景に、

山車曳行300周年ということで、「南部火消成立の原点」である

南部重直公の「大名火消姿」の雄姿を飾った。

 

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歌舞伎舞踊の長唄の一つ。

 

平家一門が壇ノ浦の戦いで負けた後、

八島に生き残った官女が、魚を売りながら昔を偲ぶ様子である。 

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