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時は、平安末期の一の谷の戦い。

 

源義経は、平敦盛が後白河法皇の落胤であることを知り、

密かに命を救おうと考える。

そして、熊谷次郎直実の子、小次郎が同じ年頃なのに目をつけ、

「一枝を伐らば、一指を切るべし」という要求を書いた制札を

直実の陣屋の桜の木下に立てた。

 

それを見た熊谷次郎直実は、義経の本意を見抜き、

我が子を敦盛の身代わりにするのであった。

直実は、義経に首を差し出すと、制札を逆さについて

武士の非情の世界を嘆き、出家するのであった。

 

なお、史実では、直実が敦盛と一騎打ちをして自身の息子と同じ年頃の

敦盛を討った自責の念から、直実は出家したと伝わる。

 

本年の山車では、歌舞伎の一谷嫩軍記のクライマックスである

熊谷陣屋の「制札の見得」の場面を飾る。

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今でこそ五穀豊穣の神、福の神として知られる大黒様だが、

古来、仏教を生み出したインドでは、暗黒の世界で死をつかさどる神

「マハー・カラー」と言われていた。

 

日本に伝わるとき、暗黒の大神ということで「大黒」と

言われたが、その後、聖徳太子によって仏教が国教となり、

さらに神仏習合によって、「大黒」と「大国」が重なっていき、

それまでの憤怒の形相から、ふくよかな優しい表情へ

と変化していったといわれている。

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