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時は元亀元年(1570年)の野洲河原の戦い。

信長の家臣・柴田勝家が篭る近江長光寺城は、

六角義賢率いる六角氏・一向宗の連合軍によって

攻め寄せられていた。

 

勝家は六角氏の攻撃をよく防いだが、長光寺城には井戸がなく、

敵は城内への水源を断ち、干殺しの攻めに出る。

 

羽柴秀吉の援軍も間に合わず、もはや一刻を争う事態となった。

 

そこで勝家は、甕いっぱいの水を家来に飲ませると、

甕を割り、もう水がないことを告げ、士気を鼓舞した。

これによって勝家軍は全員、火の玉の如く敵陣に突入。

恐れおののいた敵軍は、総崩れとなり、

柴田軍が大勝利をおさめたのである。

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常磐津節の演目「千代の遊鶴」より。

 

初世文字太夫に始まる常磐津節の家元は、

現在九世文字太夫まで、十六代を数え、

その菩提所は麻布広尾の祥雲寺にある。

 

「千代の遊鶴」は、三味線方の岸沢式佐家との関係が、

夫婦仲のよい鶴のように、幾千年も続けられるように

祈念されているものである。

本年の「松千代」は、千代の遊鶴を踊る姿を飾る。

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